コンデンス:コンデンサ

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「わかりあえない」イカレ野郎たち『スイートハート・トリガー2』

※この記事はネタバレを含んでいます。ご注意ください

 

 

先日感想を書いた「スイートハート・トリガー」の続編である。

 

kinos.hateblo.jp

 

前作で付き合うことになったアレックスとコールの二人は幸せなセックスライフを送るが、コールがアルバイトを始め、アレックスの友人・ブラッドと同じ職場で働くことになり、アレックスはゲームのモデリングのためサンフランシスコまで仕事に向かうことでさらに2人の関係性はこじれて深くなっていく。

 

今作も膨大な量の「互いへの分かり合えなさ」に満ち満ちた物語だった。

 

例えばコールのリストカットの跡について。アレックスはリストカットの跡だと気づかず、普通のけがだと思い心配をする。コールはそんなアレックスに対して「綺麗すぎる人間だ」と断絶を感じてしまう。

これに関しては「理解のある彼くん」的なネットミームにもつながってくるだろう。「理解のある彼くん」とは病んでいたり社会に生きづらさを感じる主に女性がその生きづらさに対し理解をしてくれフォローもしてくれる、全部わかってくれる、そんな創作物に対する揶揄のネットミームである。しかしながらいわゆる「メンヘラ」と呼ばれる人の目の前にそんな人が恋人として現れるなんてとてつもない奇跡である。分かり合えなさを抱えながらも我々やコールは生きていかなくてはいけないのだ。

 

しかし、どうやら「分かり合う」ということができなくても肉体関係で繋がることはできると一応の納得を得て物語は進んでいくが、果たしてそれは幸せなのだろうか?これに関してはアレックスがサンフランシスコに仕事に向かい、趣味の合うブラッドと一時的に同居生活を送ることによってますます疑問が大きくなっていく。

しかしながら、アレックスのことがコールは性的にタイプでたまらない。性欲至上主義、ロマンティックラブ・イデオロギー至上主義との批判は免れないだろうが、好きなものは好きなのである。そんな二人が幸せなセックスをする様に我々は幸せを感じるのだから。

 

そして、この「わかりあえなさ」を示す装置として現れるのがタイトルの「トリガー」にもある通り銃なのである。1巻で登場したように、コールはリリーと寝たことに対して「わからなさ」を感じアレックスに銃を向ける。逆に一方アレックスはなぜか銃を向けられたコールのイカレ具合に対して銃を向け、そしてコールはジョックでパーフェクトなアレックスのことがわからなくなり、自身に銃を向ける。分かり合えなさのメタファーとして銃が用いられるのである。そんなトリガーがこの作品のタイトルや表紙に使われることから、互いの分かり合えなさと、それでも結び付けられてはなれられない二人の姿が見えてくるのである。

 

3巻で二人は「分かり合う」ことができるのだろうか?先が気になる作品である。

 

ジョックとナードの下克上(??)BL「スイートハート・トリガー」1巻

※この記事にはネタバレが含まれています

スイートハート・トリガー (バンブーコミックス moment)

 

銃を向けられる金髪碧眼の青年とネオンイエローの表紙が衝撃的でつい手に取ってしまった本。

物語の筋としては「なんでもできるイケメンのノンケのジョック(今風に言うなら超陽キャか)」であるところの攻め・アレックスと金髪根暗(今風に言うならこちらも超陰キャか。陰キャっていう割にはピアスバチコリ開いていたりヤニを吸ってたりと若干擦れているが……これも陰キャ(私)の偏見か?)のゲイの受け・コールの2人が主にコールの卑屈さでもめては仲直りを繰り返す物語である。

 

これだけでは面白さが伝わらないので自分の個人的に最高ツボポイントをいくつか挙げていきたい。

まずは主人公のコール(根暗陰キャ君)が根暗なのにピアスバチバチなのがとても性的である。そうなの!?っていう人がピアスの穴をバチバチ開けてると正直興奮する。

そしてコールのガリガリ具合が本当に絵からよくわかること。エッチシーンで足や腕が細いのが如歳にわかり、さらにガタイの良いアレックスとの対比が最高。あとあまのじゃくで生意気なのに弱いコール君、かわいいね。アレックスも面倒だろうけど好きになる気持ちもわかるよ。

 

こんな感じで本能的にもツボだったのだが、物語の筋としても2人のもだもだとした前進と後退が繰り広げられている。画面の使い方も最高で、漫画という媒体の良さもまた感じられる。

まず、コールがアレックスに対して衝動的に好きだという気持ちを伝えてしまったシーンがある。そこで返される返事はおおよそ「は?」や「僕もそう(好き)だった」あたりに落ち着くだろうが、この時のアレックスは「おもしろいな」と返す。おもしろいな????好きだって言ってるのにおもしろいなはなくない???とつい突っ込みたくなるが、この回答からは、ノンケやジョックの無意識の驕りや「わかっていなさ」が伝わってくる。ここから「わかっていなさ」をそのまま作品に落とし込んだ作者の技量や、「わかっていなさ」を真摯に書こうとしていることが伝わる。そしてだからこそこのわからなさの葛藤を経た二人の仲直りのシーンがしみてくるのである。

 

また、コールの目がオッドアイと発覚し、コールは恥ずかしいからと隠すがアレックスはコールの目を気に入り「目を見せて」と迫るシーンがある。このシーンでコールは若干うろたえ戸惑いを見せながらも生意気な目でおずおずとアレックスと目を合わせる。ここがちょうどコールの顔面の身の2コマでセリフなしで表現される。たった2コマですべてを伝える画力の高さに感動してしまった。

 

他にも、コールが「俺のことが嫌ならほかの女を抱いてもいい」(この言葉はアレックスにとっては「恋人としては俺だけを見ていてほしいと言って欲しいのにほかの女を抱いてもいいっていうことはどういう了見だ」と感じられる)と持ち前の卑屈さを発揮させて仲たがいをしてしまうシーンがある。そこでアレックスも弱ってしまい拗ねたふりをするが、この仲たがいする二人の進退にキュンキュンしてしまう。

 

最終的にも彼らは「俺はお前に失望して/お前は俺に銃向けて/の繰り返しだろ」その流れを受け入れていくが、そのさなかで彼らが上位に立ったり弱ったりが細かく書かれていく。そんな彼らをどきどき見させてくれるのがこの作品であった。

 

最後、どうしてもつかめなかったセリフの意図がある。途中現れたリリーという女性がアレックスに抱かれる・抱かれないという話題でいつものごとくアレックスとコールが揉め、アレックスが友人と飲みコールとの関係を揶揄された後に吐いたセリフだ。

「好き勝手言ってんじゃねーよ」「俺だって情けなくて文句ひとつ言えないんだぞ」

直前の状況を見たら「ゲイだホモだと言われていることに対して文句を言いたくっても言えない」という解釈になるだろう。しかしながらそのことを言いたいのならこのセリフはあまりに不適切に過ぎる。

一方で、もっと大きく範囲を取ると、「リリーを抱いたと思われている(そんな奴だと思われている)ことが『情けない』、あまりに情けなさ過ぎてコールに文句すらいえないんだ、そういう状況を抱えている俺たちに外野がごちゃごちゃいうんじゃない」ということをいおうとしている可能性が出てくる。こちらの場合もなぜそれを一緒に飲んでいた友人たちにキレて言い放ったのかがわからず不適切に感じられる。

個々の部分に関して何かわかる方にはぜひ教えていただきたい。

 

と、そんな感じでいろいろ言ってきたがとにかくジョックとナードの格差や葛藤、自意識がとても良いのでぜひ読んでいただきたい作品だ。

グロテスクのポリフォニー(飛浩隆『グラン・ヴァカンス 廃園の天使Ⅰ』感想)

 ※読んでいない人にも紹介するような体で書かれていますが思いっきりネタバレしているので、未読の人はご注意ください。

グラン・ヴァカンス 廃園の天使Ⅰ

グラン・ヴァカンス 廃園の天使Ⅰ

 

 

 AIとグロテスク、その融合こそが本作の強みであり真理だと思う。AIといえばコンピュータ上の存在、肉体を持たない存在という認識の時代を超えて、きっと今やAIにも感情があり、実在する人物との違いもいつか消えていくだろうという認識の時代になっただろう。しかし、そのようなAIに対してここまでグロテスクさを用いて描く作品というのはほとんどお目にかからなかったのではないだろうか。AI×グロテスクさの本質のカップリングを描いた至上の作品こそが『グラン・ヴァカンス 廃園の天使Ⅰ』ではないかと私は思う。

 

 この物語の登場人物たちはAIである。AIたちは、かつてその街の中に “実在の人間“が「ゲスト」としてバカンスに訪れた仮想上のリゾート地〈数値海岸〉の一区画、〈夏の区界〉で、”実際の人間“であるところのゲストをもてなすための存在である。しかし、そのゲストたちはある時を境に訪れることをやめ、取り残されたAIたちは永遠に夏のまま変わらない季節の中で、永遠の夏休み(グラン・ヴァカンス)を過ごしていた。しかし、突如謎の怪物である〈蜘蛛〉が現れ、区界を襲い始める。そこからこの物語は始まる。

 

 様々なAIとしての特色を持った登場人物が現れ、〈蜘蛛〉に立ち向かっていく様に私はワクワクして楽しんだが、私としてはこの作品を最も推すポイントはそこではない(もちろんそこも面白いのは間違いないのだが!)と思っている。

登場人物の一人であるジョゼは、〈夏の区界〉に襲い掛かる〈蜘蛛〉たちの親玉であるランゴーニによって、無意識化に抑え込まれていた数々のグロテスクな思い出を暴かれることになる。彼がAIとして生まれた時に直接は経験していないはずだが(なぜなら彼は今の姿のままAIとして生まれたのだ、だから彼の過去だと思っている記憶は実際に過去に “起こった” 出来事ではないのだ)、AIとして生まれた時に埋め込まれたグロテスクな過去の記憶がだんだんと甦らされていくのだ。彼の記憶の中では存在したはずの弟が、見知らぬ奇妙な女によってバラバラにされていく思い出。バラバラにされると言っても、彼の弟もAIなのだからAIの基本構造、例えば3Dモデルの表面に描かれるようなグリッド線だったり、プログラムのコードだったり、せめて無機質な何かが見えるはずであるのに、解体された弟の内部からは人間の内臓のようにてらてらと光る内部が見える。このシーンこそこの小説の白眉で、グロテスクの描写の臨界点であると私は思うのだ。

登場人物のうち、もう一人の主人公ともいえるジュリーはかつて、彼女の性的なトリガー、〈夏の区界〉の外からやってきたゲストを性的にもてなすために作られたAIの一人であるジュリーがゲストに性的な接触を許すためのトリガーであり、かつ彼女のペットであったウサギのスウシーがゲストによって生きたままスープとして煮込まれる状況を受け入れた。煮込まれ、熱されてぐずぐずになったウサギの頭を彼女は抱きしめる。まるでヨカナーンの首を求めたサロメのように。そしてこんな無残な行為を行ったゲストに対して接吻を求める。そして、このゲストというのが、実の弟・ジュールが何らかのハッキング技術か何かを用いてゲストの人格に入った存在なのである。そして、彼女はこのようなことを行った弟という存在を切り離し、実の弟であるはずのジュールを「いとこ君」と呼び始めるようになる。

ここには無数のグロテスクがある。AIは生まれた時(そう作られた)より以前の記憶をすでに埋め込まれているという、経験していない記憶が「ある」という世界五分前仮説じみた「作られた存在」ゆえのグロテスク。もっと直截的な、AIが〈蜘蛛〉に取り込まれ人体の塊になってしまうといった視覚的なグロテスク。また実の弟であるジュールとジュリーがセックスするという近親相姦のグロテスク。もっともっと、グロテスクさを例示していけばきりがない。まさにグロテスクのポリフォニーと呼ぶべき作品なのである。

そして、そのグロテスクな描写に私は心惹かれ、ついつい読み進めてしまった。そのグロテスクさを求め、登場人物がよりかわいそうな姿になるのを期待する。この姿はまさしく作中で描かれる区界のゲストと同じ目線だ。自分がゲストに同化していく姿に、私はうすら寒い思いをしながら読み進めることになったのだ。

 

とにかくこのグロテスクさ、アングラ小説好きにこそお勧めしたい作品である。AIという存在や硝子体〈グラス・アイ〉による自己の拡張などSFらしい描写が基盤としてあり、ジャンルとしてはSFなのだろうが、作者の言葉を借りれば「ふつうの小説として手を取ってはいかが」。とはいっても下世話な、下品なグロテスクさはきっとあるはずなのにそうは感じられないのはジャンルSFゆえの「硬さ」があるからだろうか。うまいバランスの小説もあるものである。続きが楽しみ。

 

次読みたい本↓

 

零號琴 (早川書房)

零號琴 (早川書房)

 

 

 

自生の夢 (河出文庫)

自生の夢 (河出文庫)

 

 

 

ラギッド・ガール―廃園の天使〈2〉 (ハヤカワ文庫JA)
 

 

最近読んだ百合作品(2020年9月上旬)

最近読んだ百合作品の感想を忘れないうちに書いておきます。備忘録替わりです。

 

陸秋槎『雪が白いとき、かつそのときに限り

なんか百合ってどこかで聞いてたから買った。

たぶん百合SFアンソロ(『アステリズムに花束を』)に収録されている作品の作者ということで買ったと思います。百合SFアンソロとはまた少し違った雰囲気ですが、相変わらず三角関係の百合なんですね…嫌いじゃないですよ…。(すごく好き)主人公の馮露葵(ふうろき)と図書室の先生の姚漱寒(ようそうかん)、馮露葵と友達の顧千千(こせんせん)の関係がたいへん好きです。あと姚漱寒の語る大学生活がまんま自分で、彼女の状況がシャレにならなくて変な声が出ました。あまりに自分そっくりで冷や汗ダラダラかきました。

 ミステリとしてはあとがきにも書いてありますが、綾辻行人から始まる新本格ミステリ、という流れをすごく感じます。詳しくはネタバレになっちゃうのでまたどっかでもっと書きたい。

 

雨水汐『欠けた月とドーナッツ1』

本屋で表紙に惹かれて買った。

すごーーーーくよかった。穴があるからこそいい、というメタファーにドーナツを使うというテクニカルなところもすごく好きだし、何より主人公の二人とも自分の好みのタイプのOLすぎる。美人百花系の服着た男ウケファッションのロングヘア―のOL(本人はそこにしがらみを感じてはいるものの)、すごく好き。本当に好きなんですよね、ああいう赤文字系オフィスカジュアル…。かわいい…。そして黒髪ショート(若干ウルフっぽい)のコンサバファッションの無表情だけど仕事できるお姉さん…私も上司にそんな人が欲しかった…。しかもこの二人のもだもだ感。一向にくっつかない!!それがいい!!自分が嫌い、そんな気持ちを受け入れていく様子が本当に丁寧に描かれていて、ただ救われるだけじゃなく自分でも救われようとするひな子の姿がとてもかっこいい。(多分ひな子はそうは思ってないだろうけど。)多分これから元気がなくなった時に読み返すと思う。2巻が楽しみです。

 

 

 原百合子『繭、纏う1』

繭、纏う 1 (ビームコミックス)

繭、纏う 1 (ビームコミックス)

 

なんかTwitterで褒められていた記憶があったので買った。

まず、人の髪で作られた制服という発想がものすごい。そして、その髪で織り上げられた制服という設定を、吉屋信子らの少女小説から脈々と受け継がれてきた百合定番の女学校や後輩先輩という制度と結び付けていったのがすごい。制服の例えば第2ボタンやスカーフなどの一部の部品によって結び付けられる関係性というのはよくある、というか定番だと思うのですが人間の髪の毛という様々なコンテクストを持つ材料によってより重み?が増していて、より物語的に特異性が増しているかと思います。

 学園の有名人との逃避行、まさにこの年代の子供だからこそ感じる閉塞とやりきれなさの象徴という感じでとても好きです。まだ1巻しか読んでないので、早く続きが読みたい。

あとこれはご当地ネタなのですが、セーラー服の襟があんまり大きくなくて胸当てがついていないのがいかにも関東の学校だな…と感動しました。中部地方出身なので、いわゆる名古屋襟と呼ばれる襟がクソデカいセーラー服(もちろん胸当てがついている)を中高6年間着ていたので、胸当てがないと胸元スース―しないのか!?と心配になります。おばちゃんの余計なお世話。

 

全然関係ないですが、百合SFアンソロに入ってた陸秋槎氏の作品がすごく好きなのでぜひ。