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グロテスクのポリフォニー(飛浩隆『グラン・ヴァカンス 廃園の天使Ⅰ』感想)

 ※読んでいない人にも紹介するような体で書かれていますが思いっきりネタバレしているので、未読の人はご注意ください。

グラン・ヴァカンス 廃園の天使Ⅰ

グラン・ヴァカンス 廃園の天使Ⅰ

 

 

 AIとグロテスク、その融合こそが本作の強みであり真理だと思う。AIといえばコンピュータ上の存在、肉体を持たない存在という認識の時代を超えて、きっと今やAIにも感情があり、実在する人物との違いもいつか消えていくだろうという認識の時代になっただろう。しかし、そのようなAIに対してここまでグロテスクさを用いて描く作品というのはほとんどお目にかからなかったのではないだろうか。AI×グロテスクさの本質のカップリングを描いた至上の作品こそが『グラン・ヴァカンス 廃園の天使Ⅰ』ではないかと私は思う。

 

 この物語の登場人物たちはAIである。AIたちは、かつてその街の中に “実在の人間“が「ゲスト」としてバカンスに訪れた仮想上のリゾート地〈数値海岸〉の一区画、〈夏の区界〉で、”実際の人間“であるところのゲストをもてなすための存在である。しかし、そのゲストたちはある時を境に訪れることをやめ、取り残されたAIたちは永遠に夏のまま変わらない季節の中で、永遠の夏休み(グラン・ヴァカンス)を過ごしていた。しかし、突如謎の怪物である〈蜘蛛〉が現れ、区界を襲い始める。そこからこの物語は始まる。

 

 様々なAIとしての特色を持った登場人物が現れ、〈蜘蛛〉に立ち向かっていく様に私はワクワクして楽しんだが、私としてはこの作品を最も推すポイントはそこではない(もちろんそこも面白いのは間違いないのだが!)と思っている。

登場人物の一人であるジョゼは、〈夏の区界〉に襲い掛かる〈蜘蛛〉たちの親玉であるランゴーニによって、無意識化に抑え込まれていた数々のグロテスクな思い出を暴かれることになる。彼がAIとして生まれた時に直接は経験していないはずだが(なぜなら彼は今の姿のままAIとして生まれたのだ、だから彼の過去だと思っている記憶は実際に過去に “起こった” 出来事ではないのだ)、AIとして生まれた時に埋め込まれたグロテスクな過去の記憶がだんだんと甦らされていくのだ。彼の記憶の中では存在したはずの弟が、見知らぬ奇妙な女によってバラバラにされていく思い出。バラバラにされると言っても、彼の弟もAIなのだからAIの基本構造、例えば3Dモデルの表面に描かれるようなグリッド線だったり、プログラムのコードだったり、せめて無機質な何かが見えるはずであるのに、解体された弟の内部からは人間の内臓のようにてらてらと光る内部が見える。このシーンこそこの小説の白眉で、グロテスクの描写の臨界点であると私は思うのだ。

登場人物のうち、もう一人の主人公ともいえるジュリーはかつて、彼女の性的なトリガー、〈夏の区界〉の外からやってきたゲストを性的にもてなすために作られたAIの一人であるジュリーがゲストに性的な接触を許すためのトリガーであり、かつ彼女のペットであったウサギのスウシーがゲストによって生きたままスープとして煮込まれる状況を受け入れた。煮込まれ、熱されてぐずぐずになったウサギの頭を彼女は抱きしめる。まるでヨカナーンの首を求めたサロメのように。そしてこんな無残な行為を行ったゲストに対して接吻を求める。そして、このゲストというのが、実の弟・ジュールが何らかのハッキング技術か何かを用いてゲストの人格に入った存在なのである。そして、彼女はこのようなことを行った弟という存在を切り離し、実の弟であるはずのジュールを「いとこ君」と呼び始めるようになる。

ここには無数のグロテスクがある。AIは生まれた時(そう作られた)より以前の記憶をすでに埋め込まれているという、経験していない記憶が「ある」という世界五分前仮説じみた「作られた存在」ゆえのグロテスク。もっと直截的な、AIが〈蜘蛛〉に取り込まれ人体の塊になってしまうといった視覚的なグロテスク。また実の弟であるジュールとジュリーがセックスするという近親相姦のグロテスク。もっともっと、グロテスクさを例示していけばきりがない。まさにグロテスクのポリフォニーと呼ぶべき作品なのである。

そして、そのグロテスクな描写に私は心惹かれ、ついつい読み進めてしまった。そのグロテスクさを求め、登場人物がよりかわいそうな姿になるのを期待する。この姿はまさしく作中で描かれる区界のゲストと同じ目線だ。自分がゲストに同化していく姿に、私はうすら寒い思いをしながら読み進めることになったのだ。

 

とにかくこのグロテスクさ、アングラ小説好きにこそお勧めしたい作品である。AIという存在や硝子体〈グラス・アイ〉による自己の拡張などSFらしい描写が基盤としてあり、ジャンルとしてはSFなのだろうが、作者の言葉を借りれば「ふつうの小説として手を取ってはいかが」。とはいっても下世話な、下品なグロテスクさはきっとあるはずなのにそうは感じられないのはジャンルSFゆえの「硬さ」があるからだろうか。うまいバランスの小説もあるものである。続きが楽しみ。

 

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